怒り

2016/09/21 布施ラインシネマ
3/10

確かになんやかんやあって
面白くないこともないんだけど

という以上のものが
どうにも見つけ出せずにいる
苛立ちというか
うまく口車に乗せるのが得意な
仕事出来ます的営業の罠に
まんまとハメられてるような

実は大した商品じゃないのに
オプションがキラキラと豪華なんで
おもわず買ってしまいそうになる
っていうか

ま 簡単に言っちゃうと

ノレなかったってことなんすけど

20160921-230706

ズバって言っちゃうとですね

李相日の作品に初めて接したのって
「青 chong」なんですけど
この時点で違和感というか
ちょっとした拒絶反応が
自分の中にあったんですね

というのも 明らかに
北野武の作風を
ビンビンに感じさせられてしまう
ショットやカット割りから醸し出される
猿真似的空気感なんすけど

今回も決して例外じゃない
ような気がするんですね

なんでモノマネ感が
プンプン臭うかって問題なんだけど

根本的に映画的に下手だから
じゃないかと
私 孤独に思ってるんで
ま あんまし気にしないでね

なのに
周りに優れた才能を集める才覚はあって
今回の場合だと
誰が見たって画面は優れているわけだし
編集だって音楽だって
もちろんアベレージ越え軽々です
ていうかキャストが凄いことになってるよね
誰もが主役級っていうさ
こうなるともぉ
演技合戦になるのは必至
洋平(渡辺謙)を軸に置いて
プレッシャーかけるっていう寸法だから
自分だけヘタこいて逆に目立っちゃうと
大変なことになるし
神経のすり減らし方
ハンパなかったんじゃないかなぁ
特に泉(広瀬すず)なんて
相当なプレッシャーだったと思うよ
意地悪な見方すると だからこその
レイプシーン承諾でもあったと思われるし

20160924-032117

こうなってもまだなお
愛子(宮崎あおい)は脱がないんだぁ っていうさ
そういう面白さも確かにある

それに比べて
優馬(妻夫木聡)と直人(綾野剛)
吹っ切れ方は褒められてしかるべき
2人のノリの加減や具合が
功を奏したっていうのもあるかもしんないね
足で誘ってるし
ちゃんとディープしてるし
コンドーム噛みちぎってるし
あそこまでやってくれたら文句ないですよ
特に剛ちゃんね
いつものニタニタ顏を
さらに作り笑いでベタつかせた聡くんが
常に隣にいるから
余計にその七変化ぶりが目立ってくる
「日本で一番悪い奴ら」なんかの役より
断然こっちの方がいいと思う

20160921-231006

だから余計に
序盤の風俗店での愛子の登場が
スカスカに思えちゃうのね
ドア開けたら
ベッドに横になって死んだ目をしてる
っていうだけじゃ バランス悪すぎ
1オクターブ高い声で パッパラパー演じても
白々しさがつきまとって
「うまさ」だけが前面に出ちゃう
これ けっこう悪いスパイラルね
作品内で頭の良さがチラチラ見え隠れする
っていうのは プラス要因じゃないから

20160921-231608

同時に泉のレイプシーンも同じ
20歳前の女優がこういうことにも挑みました
以上のものがなーんにもない
すずちゃんのこと知らない外国人が
ここ見てどう思うかって想像すりゃいい
単に「普通」です

20160921-230856

作業着脱いだらピョン吉Tシャツ着てんじゃねぇか
と ちょっとだけ勘ぐってしまった
田代(松山ケンイチ)
やり辛いことはなかろう陰的役柄で危なげないし

20160921-230748

信吾(森山未來)
ある意味「苦役列車」の延長線上に浮かぶ島での
ぼっち暮らしともとれますが
私としてはあっちゃんと見事に絡んだ北町貫太の方が
何十倍も魅力的に思えた・・・んですけど
ここでの言及は避けておきます

20160921-230723

そして 主軸とされた渡辺謙
彼がオーラを消し去って
見事に漁師のオッさんを演じてた
なんて聞いたりするんですけど
本当にそう思って言ってます?
なんか言わされてる感ないっすか?
私 彼に対してオーラなんて微塵も感じないんで
いい機会なんであえて言わせてもらうんですけど
もともと今作のような役が似合ってらっしゃる
演者さんのような気がしてならないんですけどねぇ
「タンポポ」あたりから
ちょくちょく映画内で遭遇しますけど
ハリウッド映画も含めた上で
庶民感覚から遠くなればなるほど
無理っぽい作られた感が
幅を利かせてしまうというか
ま これも個人の感想なんで
お気になさらずに

20160921-230632

だから今回
そのハッタリ感が私には通用してないんですよ
またやってはるわこの人
って感じですね正直

キャスティングにおける大風呂敷の広げ方や
もはや退屈な音符の連なりでしかない
坂本龍一の作り出すメロディーの採用とも相まって
カットの繋ぎは巧みに時系列を前後させ
さらには
これ以上1秒長くなるごとに欠伸の数が100ずつ増える
というギリギリのラインで
シーンチェンジするなんてことは
142分を乗り切るためには必須項目だし
沖縄の泉を追尾しながら
千葉の愛子の声がナレーションをつとめるという具合に
あらかじめ脚本段階から想定されてたに違いない
満遍なく「バベル」を装いつつ
「直感的叙情性」と名付けられる着物を纏った
テレンス・マリック的意匠をも思う存分乱射し
それによりある一定量の「退屈さ」を
隠し切る事には成功しているものの
その反動で映画的強度をことごとく無駄にし
エモーショナルな瞬間を掴み損ねているという
ある高さでリミッターのかかった「天井」にも
ブチ当たっていることは紛れもない事実だし
うるさ過ぎる事に自覚的でないことが
音楽的演出センスの限界である事に
坂本氏自身はきっと気付いてたに違いない
音量とその配置へのバランスを欠いた配慮
に接するまでもなく
やはり演出のいたるところが
「汚れている」と言わざるを得ません

映画が開始されるや
南条(ピエール瀧)と北見(三浦貴大)の口から
散々聞かされる説明台詞の応酬により
これだったらナレーションやテロップ処理で
済ませてた方がマシだったかも っていう
作品全体の詰めの甘さを早速予感させもする
映画セオリーの証明にいちいち突っかかる前に
なんでまたピエール瀧なのか?
っていうつまらない疑問が
ふっと湧いてくるわけです
彼といい國村隼といい
私個人の意見で恐縮ですが
本当もぉゲンナリなんですけどね
いっつも同じ脇役メンツ
オーディション面倒いだけなのか
単に赤江珠緒からの それともその逆の
「たまむすび」繋がりなのか
そこいら辺の手抜き感がどうにも否めない
瀧さん あのガタイと顔
決して悪くなんかないのね
弁当食う北見の横で臭そうな靴下脱いでるのも
カメラの巧さの助けもあって
ちゃんと画になってる
でも 喋るとボロが出ちゃうのねいっつも
残念です毎回

20160921-230508

ということで
いきなり素朴な疑問へ入りますが

信吾って
どうやって本島と往き来してるのかな?
って思いませんでした?
泉はちゃんと
辰哉(佐久本宝)の船に乗せてもらってるんで
問題ないわけだけど
信吾の交通手段は
まったく画面として映されないし
セリフでの説明さえない
那覇で辰哉と映画デート中だった泉に
黄色い注意信号みたいな姿目撃されて
それとなく聞かれても曖昧な返事
ていうか
なんで信吾くん 突然那覇なんかにいるの?
って感じでしたよね?
でもこれって実は
あるシーンと密接に繋がってるわけです

20160921-231626

八王子の殺害現場ね

電話で聞いてた建設現場へ向かう派遣社員
バスを降り
いくら住宅地を歩いても歩いても
目的地が見つからないんで
とうとう携帯で本部へ連絡
すると担当者は半笑いでこう答えたらしい
「それ 先週の現場じゃん」
行き場を失ったこの男 疲れ果て
ある家の玄関でうずくまってると
人通りのない多数の住宅の内の
たった1つであるそこへ
家主の嫁が買い物から帰宅してくる
「・・・何 なさってるんですか?」
男は疲労困憊した顔を上げ
仕方なさげに立ち上がり
トボトボとその場を後にしたかに見えたのだが
いつしかまた舞い戻り
同じ場所にうずくまることを選ぶ
その自宅の玄関の彼へ
丁寧にもお盆にのせたグラスに入った
冷たそうな麦茶を差し出す女の行為を
世間知らずだとか
違和感しかないだとか言うことはいとも容易い
その短絡的思考の方こそを
いったん括弧にくくってみると
作家性を指し示す説話論的展開が
垣間見れたりもします
島に何度目かでやって来た泉も
食事に不自由してるに違いない信吾に
“頼まれもしないのに”
食べ物を持って来ていたという行為と
この冷たそうな麦茶は
確実にガッツリと繋がっており
何より
この後に粛粛と行われるであろう
料理庖丁による虐殺のために
まずは家屋内へ入らなければならない
にもかかわらず
女が自ら招き入れたのか
男が無理やり押し入ったのか
その経緯が丸ごと抜け落ちているという事態が
島と本島を往き来する手段の欠落と
レゴの最終パーツを接続した気持ち良さ
ほどは持ち得ないにしろ
明らかに 意識的であれ そうでなくとも
結果的にリンクしまくっているという
揺るぎない作家の癖を見せられたようで
けっこうな広い面積 腑に落ちた ということです

20160921-230537

「距離」の欠落

私の考えですが
映画における「距離」とは
“思想”ではないかと思っています

これを踏まえて言うのですが
同じ場面 つまり
殺害に至るまでの場面に於いて
「ヒメアノ〜ル」吉田恵輔なら
確実にそこへ至るまでの過程を
多少なりとも現出してたんではないか
と思うんですね
だが 今作では
まったくそれがなされていない
というか
前後の描写から察するに
必要だとも思われていない
ということです

20160924-032045

「みっともない」ことを
隠さずにおくこと

私が今作に
ただならぬ違和感を覚える要因の1つは
これです

園子温なら
「みっともない」ことをいくらやり続けても
どうしても残尿感が残るその苛立ちこそを
「映画」にしようとするでしょう
でも李相日の場合は
まったく逆のベクトルへ向いてるのではないか
そんな風に思ってしまうわけです
猿真似が天上を突き破れない限界は
もしやそこにあるのではないか?

泉に「どうやって来たんですか?」と
尋ねさせるセリフ設定は
そこへ踏み込まれても
これが私のやり方だから という
作家としてのエクスキューズと
私は解釈したのですが・・・

いつの間にかレイプ現場にいて
実は一部始終を見ていたとほざき
玄関前で麦茶を飲み干すカットの次が
浴槽内で息絶えた女の再生を信じて疑わない
お得意のうずくまる男のカットであるという
まさにジャンパーにしか成し得ない
小規模テレポーテーション

もう1つの決定的な「中抜き」作業は
砂浜にて演じられる
「何やったって何にも変わりゃしないのさ」
という典型的ニヒリズムを非難しながら
辰哉に砂をぶっかける泉・・・なのですが
こんな理屈をまず口にしている彼女の心情が
どうにも理解しがたいと感じたのは
私だけでしょうか?
ここには「生々しさ」が完全に無く
レイプ現場を側から見てた我々よりも冷静な当事者が
言葉を選んで叫び倒しているとしか思えず
この直前にあるべきシーンが
編集でまるまる削ぎ落とされたんではなかろうかと
妙な疑惑を抱いてしまうほどです
あんなに汚い場所で汚い男に汚いやり方で
犯されてしまったはずの「感情」が
理論武装一歩手前の言説で
着飾ってしまっているという事態

20160921-230915

ジャンパーは 人 であるとは限らないのかぁ
と言うより
こういう言い方 本当は好きじゃないけど
あえて言います

血が通ってません

 

信吾を泉たちの幻覚症状という手法で
辻褄をもメタファー化するのかと思いきや
彼を捉えた防犯カメラ映像が
テレビに映し出されることで それも帳消し

少なくとも ここまで来て言えることは

レイプされようがされてなかろうが
泉はいずれ信吾によって消されていたであろう
という ハズれるわけない推測です
麦茶を差し出した女 と 泉とは
信吾の中では寸分の違いもなかろうから
2匹一緒にペットショップで買ったうさぎ
くらいの認識かもしれないのです

泉がラストに放った 叫び とは
この意味において理解されるべきですね
信吾の死後 ようやく初めて彼の住処に入り
「怒」や「ウケる」という文字を
目の当たりにした瞬間
彼も辰哉と同じく傍観者であったことも含め
望まないのに 全てを理解してしまった彼女

なんなら
まだ成仏しきれていない信吾の魂が
彼女に憑依した と想定して
と 解釈してもいいのでは?

憎み続けることへの恐怖
愛し続けることへの重圧
このどちらへも
決意の手を伸ばすことのできない
「信吾」なる者が選びとるのは
“逃げ”という一手によって
その都度 人格を変容させ
その場をスルリとくぐり抜けることによって
築き上げられた防御壁が崩れないように
見張り続ける という
自身ではない地点に 立ち続ける こと以外
何もしないでおく
というルールに他なりません

好意を抱き始めたと感知するや
相手をとことんまで突き放しにかかり
あるラインまで震度が落ち着くや
何事もなかったように
また正常な血圧までカムバックする術

20160921-230947

憎むこと と 愛することの間で悶え続け
憎みながらも愛し続けることを
ついには一度も成し得なかった彼の
身を引き裂かれるような苦悩から導かれた
自殺ではない 殺人 という選択さえも
赦してしまいかねない
“無知”という「苦悩」を全身で受け止めつつ
被害者と加害者という図式が一気に溶解し始め
被害者/加害者となり
やがては 望まないのに 彼女の中で
被害者=加害者 となってしまい
辰哉や信吾を頭ごなしに責め立てる資格など
果たしてこの自分にあるのか?
というポイントに差し掛かった途端
誰よりもまず自分に ではなく
自分をも含んだ“何ものか”に向けた
「怒り」の膨らみを吐き出すかのごとく
海原という「空虚」を相手に
最初の戦いを挑むわけですね

20160921-231048

まさかという相手に
しかも2人ほぼ同時に裏切られた形となった
泉とは対照的に
相手を信じる機会を作ろうとする工夫さえなく
それ故 心中する覚悟など
ハナから無かったのだと事後的に気づかされ
自分に裏切られるという
散々な結果を経験することになる
洋平と愛子 そして優馬

そこは内地ではないのだと
瞬時に理解出来てしまうほどの青空をバックに
乾いた潮風の中
シネスコ画面の両端に信吾と辰哉を立たせ
片方をもう片方へ近づかせることで
構図を一旦分解し 再編成を試みる
かにも思えるカメラワークが
千葉や東京でも繰り広げられることにより
真犯人が信吾であったことの「偶発性」によって
3つのシークエンスを丁寧に紡いでゆく方法に
ケチをつける気など毛頭ないものの
もっと言うなら
日本映画最高水準値に近い「映像美」なるもので
きらびやかに奏でられる
あざとさの一歩手前で踏ん張り続ける画面の連鎖や
その画面たちとヒソヒソ相談しあう坂本氏の旋律
あるいは
2階窓から刑事たちの様子を窺う
洋平含みのショットが素晴らしいだけに
余計に傷も広がることとなった
大泣きする愛子を手前に配し
「腰がぬける」という脚注そのまんまに
玄関で真相を吐く北見刑事の前で
ココ一番見得を切るかのような派手さで
見事崩れ落ちる
渡辺謙一世一代の見せ場が象徴する
オールスター演技合戦が
出しゃばったメリル・ストリープの内から
無自覚にニオイ漂ったりしてた「ノイズ」
へと時折変換されたりもしてる
などと感じざるを得ない事態の最大の原因が

20160921-231030

他者を信じることが
あたかも自明の理として
イデオロギー化でもされているかのような口ぶりの
全編を通した語り口によるものであるのは
言うまでもありません

我々とは 果たして
そのような安全圏内で
生かされているのだろうか?

無菌に近い状況を夢想できるほどの
立派な社会で生活しているのだろうか?

つい先日まで会ったこともなかった人を
ある妨害であったり遮断によって
信じきれなかった自身に憤慨するほど
駆け引きも騙し合いもない日常であるのか?

20160921-231101

今作の重要とされるテーマ
の1つであるはずの「信頼」

作品内にあるような経緯で
洋平のように腰砕けとなり
愛子のように大泣きし
優馬のように人目構わず涙腺を爆破させた事に
逡巡など割って入る隙間さえないと
それでも演出家がのたまうなら
私と今作の関係性はほぼゼロに等しくなるでしょう

勝手にやってな

これに尽きます

問題提議自体がそもそも誤っている作品には
なんの魅力もありません
映像が優れていればいるほど
音楽が状況音をおざなりにするほど
時制の誤差利用の編集がドヤ顔をするほど
キャスト陣の眼が血走るほど
最も重要な要素の1つであるはずの
「抽象性」を獲得するチャンスを
間抜けを超えた痴態を晒し
逃してしまっているからです

20160924-031555

「お前のことなんて信じてないから」
と優馬が警告すると
見透かしたように直人は
こう答えていたのではないのか?
「それって
信じてるから出てきた言葉でしょ」って

これが理解できているのに
なんでいきなりスタートラインから
躓いてしまっているのか?

なぜに各ラストを
とりあえずどうにか一旦片付きましたよ的
どうにでも転がし散らかし放題で
いかにも綺麗に収拾しました感出して
うまくごまかそうとした結果
絶望的につまらなくしてしまうのか?

あれもこれも
映画的倫理の欠如がもたらした不備であり
霊感商法的詐欺に遭遇するたびに
騙され続けることこそが美徳であるかのような
聖人君子わんさかのユートピアを前提社会として
目紛しいほどのアブストラクトを
展開してくれそうな気配でもあるならまだしも
どうやら作り手側は半分以上マジモードらしく

それらを逆説的に決定づけてしまっているのが

映画の側が世界をコントロール出来てしまうのでは
と思わず誤解してしまうほどの
マッチポンプ感満載
悪ふざけモンタージュ写真を筆頭にした
出来損ないからくり人形関東地区展示会です

20160921-230610

これは「イニシエーション・ラブ」的ジレンマ
とも言えたりする
主観視線による言説化によって成立しうる小説を
映画化する場合の方法論でもあるわけで
暗黙の了解という手打ちを採るか
もしくは今作のように
神隠しさながらのイリュージョンによって
世界の視線を大胆不敵に操作してしまうか
原作を忠実になぞろうとするなら
この2つのうち1つが主流となる筈であり

信吾 田代 直人
いずれにもとれる合成写真の登場は
致し方ないとして百歩譲ってもいいでしょう

でも
頰のホクロが縦に3つ並んでいたり
切った髪の毛が洗面台を覆い尽くす
もはや可愛気などない思わせぶりな
直人のくだりや
八王子現場回想シーンでの男の佇まいが
明らかに信吾以外にしか思えないように
撮られているという
笑えない騙し討ち的捏造などは
情報操作の域を超えていると言わねばなりません

気持ちも居心地も悪い下手くそな手品を見せられ
拍手を強要されてるかのような
優しい言葉巧みに乗せられて捺印させられたような

そう 明らかに昨今手を替え品を替えはびこる
詐欺行為とほぼ同じやり口だという
この強烈なアイロニー臭

とにかく真犯人の特定を出来る限る遅延させ
引っ張って引っ張って
2時間越えのケツの痛みを忘却させ
「長く感じなかったね」という感覚を
観客の脳内にブチ込んでおいた上で
「これは犯人探しの映画なんかじゃないんだよ」
というセリフを
観客自らが発するように仕向ける
ライトな洗脳作業にも余念がありません

画面でそう提示されれば
見る側はとりあえず
それに従うしか術はないという
弱みにつけ込んだ
目に見える形での損額の発生だけは
どうにか免れているペテン行為

やってはならない筈のことが
自信を持って堂々と無自覚に行われている故の
大げさに騒ぎ立てるほど大した事態ではない
という映画内空気充填完了

20160921-230811

小馬鹿にされていることにさえ
気づいていない我々は
やがて決定的とも言えるシーンに
立ち会うこととなります

フルーツにナイフを通す直人に
優馬が恐る恐る尋ねます
「一緒にお茶してたあの女性
どういう関係なの?」
という具合に
でも 直人はちゃんと答えようとしません

なんで答えようとしないんでしょう?

私 さっぱり意味不明なんですけど

施設育ちで重い心臓病持ち
という程度の真相を
なぜ頑なに隠したがるのか?

ここもし 直人が優馬にぶっちゃけてたら
確実にラストの流れは変わってる筈ですけど
要するに
そうならないがための策なわけですよ

明白な映画側による情報コントロール

これを言ったら嫌われてしまうのでは
とか
これを隠すことで嫉妬心を煽ろう
だとか
施設や重病なんていう
手垢まみれの記号ごときで
イマドキどうにかしようという
時代錯誤とも呼べないダメっぷりは
小説/脚本養成コースだったら
確実にダメ出しされてる
説得力皆無の展開だし
その上それを自在に出し入れすることで
支配下に収めようとする信じがたい傲慢さ

これはもぉただ事ではありません

20160921-230651

自らを実験台にするという気構えなど毛頭なく
何もかもがお見通しである
という地点からでしか考察不能な
想像を超える倦怠感を生む小手先運動により
この先一体どうなるんだろうという
作り手の愉しみなど必要としていないに違いない
乾いたビジネスの成れの果て

こんな映画にああだこうだとブツブツ言うほど
私はいちいち暇ではない

ただ
怒りたいのはこっちの方だ
などという言い回しだけは
どうあっても避けねばなるまい

もぉ落とし穴に怯えるのは こりごりなのだ

 

20160921-230840

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