ジョギング渡り鳥

2016/09/01 京都みなみ会館
9/10

3.11を経てなお まだ
「映画」と対峙する覚悟はあるか?

自身へ何度も問いかけ続けたに違いない
そのひとつの回答を観せられ
まだ正直 頭がボォーっとしている始末

なんら声高に主張しない姿勢を
性格によるものだと片付けてよいものかどうか

ただ かつて黒沢清
こんなことを言ってた気がする

作家性や才能とは性格に起因する と

だとするなら
私はまぎれもない傑作の上映に
立ち会ったのだと胸を張れる

そしてこうも言える

この映画の出現によって
今劇場でかかっているほとんどすべての作品が
跡形もなく撃沈されてしまう と

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槍玉に挙げて申し訳ないが
現在上映中の「イレブン・ミニッツ」
これなど地球上で全く必要ない燃えないゴミとして
火曜日にでも出しときゃいいとさえ思ってしまう

覚悟のレベルが違いすぎる

内容としては
同じ方向へ向いてるように見える

イエジーなんちゃらとかいうジジイの
スタイリッシュに仕上げました感
バリバリの映像連鎖は
今作をそっと横に置くだけで
倫理規定違反となりうる
81分に削ぎ落とした割には
無駄な描写が多すぎるこのジジイの過ちは
資本主義のニオイを
ファブリーズでごまかした姑息さが
バレないと高を括っている
傲慢さに他ならない

もし今作を先に観ていたなら と
想像してしまうと身の毛がよだつ
5点などで済むわけがないからだ
稚拙極まりない時系列のシャッフルによって
さらに凡庸さを際立たせることになり
途中退場も厭わない
正視できるレベルにさえ達していない
資源ゴミ分別的見てて無駄骨感

ジジイに会う機会など死んでもなかろうから
この際ここで言っておく

ケツの穴晒す覚悟もなしに
人間ナメんなよ と

ていうか
ジジイに今作観せてやりゃいいのだ
きっと世の劇場に出回ってる自分のソフト
全部回収にかかるぜきっと
そりゃそうだ
恥ずかしくて見せらんないもの

まぁジジイいじりやってると
止まらなくなるんで先へ進むが

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超低予算なのに面白いものを観せられると
あぁーこれなら自分にもできるかも とか
こういう感じでやってもいいんだ とか
映画ってなんでもアリなんだ だとか
とにかく色々元気が出てきそうなフレーズが
飛び出してきそうなんだけど
今回は完全に逆だから

確実に自信失います

これをこういう風にやられちゃうと
もぉ手も足も出ねぇわ てな感じです

金はかかってないけど
アメリカドルに換算すると
ハリウッド超大作並みの「知性」が
ふんだんに盛り込まれてるわけです

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撮影現場における監督の役割とは
一体なんなのか?

作家主義であるか否かにかかわらず
俯瞰で作品の構造を見渡し
編集点や音楽のタイミングまでも視野に入れ
演者をコントロールすることを
とりあえず「フィクション」と呼ぶのなら
ここではなく
だとしても「ドキュメンタリー」でもない
個々の狭間の真っ暗闇に向かって
「アクション!」と声掛けもしない

来るもの拒まず

という軟体性粘着質の土台として
キャスト/スタッフを迎え入れたら
いったい全体どうなるだろう?

この着眼点が着地した瞬間
渡り鳥たちが空に並んだんですね

「映画」の「社会主義」政策
やってみませんか皆さん?

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効率性 合理性に依存することなく
面倒臭いことへあえて埋没すること

ここでの監督の一番の仕事は
この宣言からブレない現場作り
に他なりません

時系列を適当にいじることで得られる
安心感を放棄し
結果的に時系列をいじったような見え方
になってしまっていた
という突き詰め=厳格性を
選び取る態度の繰り返しにより
「人間になる」という訓練を自らへも課し
脱効率 脱合理という下地を
確固たるものへ近づけることによって
隠すべきものが皆無になる地点にまで
到達しようとする意思

見えるもの 聞こえてくるもの
すべてをいったん肯定してみよ

すべてを肯定する態度とは
何もかもを否定する態度に等しい
という方程式はここでは成立しない
ここでの肯定は否定には反転しない
単に「肯定」なのだ

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すべてを受け入れることの苦しさ
を思い知ることで
これまで排除してきたことで
救われていた自己について
改めて考察する機会を得ること

ケツの穴を晒すどころではない
剥き出しの裸体を提示し
枷も縛りもない
「自由」という苦痛にまみれた画面と音を
再構築してみること

私「と」あなた

間も距離感も存在しないというモコモコ星人
「と」
我々

ゴダールがある時期執拗にこだわった
この「と」を描写するために
まるでアニメのセル画を
どんどん重ね合わせるような
コラージュ的画面構築に挑戦してみること

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“面倒臭い”けど セルには人一人限定
という設定で作り上げられる画は

古本屋内で一番奥に
ハンター入皆茶(いるみなてぃ)を配した
驚くべき映画的構図を生み出しもし
あっけらかんと「奇蹟」を置いて行き
明らかに色温度が異なる
モコモコ画像との
絶妙なギャップ(格差)によって
落下寸前の吊り橋に乗っかった
危険極まるバランスの崩壊を生成
つまりは
「哲学」の誕生に立ち会う
というチャンスさえ
目巡ってくるという仕掛けだ

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毒もなさそうだし
ちょっと口に入れてみっか

いつもなら気にもとめない
道端の雑草を指さし
男はそうつぶやいたのかもしれない

受け入れ 肯定せよ

「自由」という未知の苦行を
強固なイメージングによって投影せよ

カメラも
モコモコガンマイクも
円盤をつるピアノ線も
横移動に使ってた自動車も
スタッフたちも
そして 監督自身も

これらが
隠されなければならなかった
「歴史」のメイキング映像として
何のてらいもなく
穏やかに提示されることで
あらゆるルールに則って生きることの
楽天性によってかろうじて生かされている日々
の眇たる息遣いをふと想起し
第1級のホラー映画に匹敵する
「肌寒さ」をも含有し得る可能性を
証明してしまっているという偶発性

この偶然/必然によって
地底深くから
ようやく頭を出したかのようにそびえる
圧倒的な色とサイズは
「メン・イン・ブラック」でもおなじみ
「ユニスフィア」を思わせる滑稽さ
であると同時に
やはり神々しくもある巨大オブジェを
何に見立てているかはここでは問わない

“あれ”は
確実に「成長」を続けているのではないか?
そんな気がしてならないのは私だけだろうか?

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一切の剪定なしに伸びるに任せたツタ
上下左右あらゆる向きへ成長し続けたそれは
やがて家全体を
すっぽり覆いかくしてしまったのだが
その庭へ一歩足を踏み入れると
見事なまでの木漏れ日が
広がる足元の土に模様を描いており
そこからかろうじて見え隠れする家屋は
原型をとどめないほどに
葉っぱによってメタモルフォーゼ
されているにもかかわらず
許せてしまう どころか
一皮むけて力強く頼もしい姿に思えて
思わず見入ってしまう
「強さ」さえ感じる建物へと変貌していた
という今作の生育過程が 実は
あの巨大オブジェの経緯と比例する形で
変化していたというなら
これほどのパラドックスがあろうか?

あるいは

手にしたiPhoneやGoProの映像が
そのまま本編で採用されてしまう
異質の緊張感を孕まされることにより
他人事では済まされない
というエネルギーが増大し
ふくよかに育ってゆく「映画」を横目に
想像妊娠かのごとく
肥大してゆくようにも感じられる
気のせいであってほしいオブジェ

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左腕が無い のではなく
まだ生えていないだけで
髪の毛が減ったのではなく
時系列をコントロールする可視化作業に
無頓着なだけのどん兵衛
トイレでの撮影を頑なに拒み
神ではないと断言する「神」

彼こそが 今作「と」次回作の
橋渡しである

次回作がとりあえずの完成を遂げない限り
今作の成長スピードは衰えるどころか
ますます他方向へ飛躍し続けるばかりであろう

「批評」をすり抜ける飛び抜けた軽快さ

これだ とわかったような口をきく
私のような軟弱者を
どんどん吊るし上げていく
優しい顔をした逆説

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どれだけ力強く告ろうが
ダメなものはダメだ
という現実を突きつけられる
瀬士産(せしうむ)自主映画監督と
ここでたこ焼き屋をやりたい
と 古本屋に言ってしまった
真美貴(まみき)との2人の行方を
距離を縮めることなく目線だけで追う
画面の密度の濃さを
作品の成長に必要な動力装置とし
その後 間髪入れずに
吊るされた円盤とともに
ジグザグ独り歩き出す
たこ焼き屋にされかけた古本屋店主を
カット割りなしで追うカメラの
アンゲロプロス的所作とも形容できよう
この大胆不敵なスピンオフ計画によって
実は時系列に揺らぎが生じているのではないか
とさえ感じさせる批評=演出が顔をのぞかせ
ここでようやく
演出家側が
ある方角へ ゆっくりと
作品を誘導し始めたかのように思えたのだが
私の考えすぎなのだろうか?

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2階から夫と教え子を
じぃーっと見下ろしてた羽位菜(うくらいな)が
絶妙なタイミングで走り現れ
真下を通過する地絵流乃(ちえるの)純子を
まるで追いかけるように ここでも見下ろす

あぁ〜 この映画 終わってしまうんだぁ

涙が溢れそうになってたのは
私だけではないだろう

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モコモコ星人の気配を
ここに来て薄々感じとってたに違いない羽位菜
レフ版である鏡も
カメラも
モコモコガンマイクも
彼女の脳内で活動している
星人たちが人間に近づくのではない
人間側が他者との距離に疑問を感じ
苦しみもがいているのだ

最後の最後までお茶を提供し続けた彼女

答は見つかっていない

いや
そもそも答なんてものは存在すらしていない
かもしれない

最後のカチンコは彼女に委ねられる

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ピカソは晩年
こんなことをふと漏らしたらしい

「ようやく子供みたいな絵が描けるようになった
ここへたどり着くのに随分かかった」

鈴木卓爾にも
これと似たようなことを口にする日が
やがて来るかもしれない

それは映画人の 究極の夢 であり
真の意味での「批評」かもしれないのだ

 

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